にしてつWEBミュージアム「赤バス50年」「福ビル街区の歴史」特集とブラタモリの記憶

2025年9月1週目、企画構成を担当している「にしてつWEBミュージアム」で新規コンテンツ2つが公開されています♪ いずれも福岡天神高速バスターミナル・バスミュージアムの展示と連動し、写真等を追加した特集ページ。

ひとつ目は「赤バス登場から50年!路線バスの変遷1975ー2025」です。山陽新幹線が博多まで全通したことに合わせて塗色を変更してから50年、今もたくさんの赤バスが福岡県内を走っています。
10年前、2015年10月に放送されたNHK「ブラタモリ」#18福岡と鉄道編の裏テーマは「タモリさんが上京した1975年の福岡」でしたが、同じ年の10月に西鉄福岡市内線(路面電車)貫通線・呉服町線・城南線が廃止されたことに因み、福岡市内を走る赤バスの一番古い車両を「ブラタモリ号」に仕立てて、福岡市近代化の基礎となった福岡市内線の痕跡探しに出かけました。

放送ではバスの中で西鉄本社広報に遺る「1950年代の修学旅行貸切バス」PR映像をタモリさんに観ていただき、即座に母校である福岡市立高宮中学校の映像だと気づきました。この映像はブラタモリの放送前に「にしてつWEBミュージアム」で先行公開したのですが、それを観た高宮中学校OBから「これは私たちの修学旅行風景です」との連絡が来て、タモリさんの一学年上の方々に密着したものだと判明しています。
放送では全カットされましたが、赤バスの社内には西鉄バスの変遷や路面電車の写真を掲示しました。ロケ中、タモリさんは車窓に集中したため車内の掲示には気づかず(笑)。天神高速バスターミナルから普通の路線バスである"赤バス"で出発するという、ある意味レアな映像になりました。

もうひとつの特集は4月に開業したワン・フクオカ・ビルディング開業記念として「福ビル街区の歴史と変遷1920ー2025」です。
こちらもNHK「ブラタモリ」#18福岡と鉄道編で、私が案内人として「天神交差点の誕生が天神発展の起点」であることを解説しました。担当ディレクターがタモリさんを午前9時30分過ぎの天神交差点に立たせると混乱が起きると危惧して、ロケ直前にまさかの福岡三越屋上から説明してほしいという話になりました。
私は「高所恐怖症のタモリさん、大丈夫ですか?」と心配しましたが、予想通りタモリさんは説明はじめてすぐに「俺、もうダメ」とギブアップ(笑)。楽しんでいたのは桑子さんだけという…なので、この場面も説明を最後まで出来ずカットされています。

三越屋上から高速バスターミナルへ移動する途中、カメラは回っていませんでしたが、タモリさんは私に寄り添って「実家2階の部屋から見えた渡辺さん家」という貴重な話をしてくれました。渡辺さんというのは、福岡市民ならよく知っている「渡辺通り」に名前を遺し、福岡市近代化の基礎を造った偉人・呉服商「紙与」渡邉與八郎さんのこと。そのお孫さん(與三郎さん)のお宅が、タモリさんの家から丸見えだったのです。
高台にあったタモリさんの実家から西を見ると小学校の向こうに「渡辺さん家」が見えて、昭和20年代のこの界隈が「坂ばかりで、宅地造成が進んで地層が丸見え」だったことを知っていたので、タモリさんの話が自身の興味のルーツであると気づきました。しかも、当時は高い建物がなく国鉄筑肥線の汽車や西鉄大牟田線の電車も家から見える環境です。これに気づいたのは、私と西鉄の吉富さんだけ。吉富さんは渡邉與三郎さんの息子さんと高校同期で、そのお宅に伺ったことがあったそうです。

実は、私の著書「ふくおか絵葉書浪漫」「西鉄ライオンズとその時代」「伝説の西鉄ライオンズ」「美しき九州〜大正広重・吉田初三郎の世界」や西鉄フォトブックシリーズは、タモリさんの親友Hさんを通じてブラタモリ以前に進呈していました。そのため、初対面でありながら「ヨォっ!」という顔馴染みのような感覚で接してくれました。
私はタモリさんが通った高宮中学校がある校区の公民館でご長老の聞き取りを何度か行っていて、この界隈の方々は親しげに「渡辺さん」と言うことも知っていました。タモリさんが通った教会などの位置も知っているので、突然の話もすんなり受け入れて理解することが出来たんだと思います。
ブラタモリ出演(企画協力)から10年、そんなことを思い出しながら今回の特集ページを作成しました。ぜひご覧ください。