記憶探偵〜益田啓一郎のブログ

アーキビストとして都市の変化や記憶を綴る日々。古写真や古地図を活用して歴史秘話を紐解きます。

福岡市に最初の百貨店が開業して100年!

160万都市である福岡市に最初の百貨店(デパート)福岡玉屋が開店したのは今から100年前、1925(大正14)年10月4日である。佐賀県で創業した玉屋呉服店佐世保に次ぐ百貨店の進出地として選んだのが、当時周囲の町村を合併して急成長していた福岡市だった。

開店時の名称は、収集してきた手持ちの資料を確認すると「デパートメントストアー玉屋呉服店」とある。


 10月4日の開業…100年後の2025年10月8日、私はこの日の講演(日本電気協会九州支部・2025秋の午餐会)で開店日を間違って話してしまったのに気づいた。音が似ている4日(よっか)と8日(ようか)を間違えて記憶していると深夜に気づき、大反省会となって眠れなくなった。

人の記憶の曖昧さを改めて実感…確認はホントに大切だ。講演を聞かれた方々、申し訳ありませんでした。気を取り直して

地下1階地上5階建ての福岡玉屋、開店時は呉服店らしく店舗では履き物を脱いで上履きで店内を巡ったらしい。買い物には店員が付いて解説してまわり、客は手ぶら。最後はエレベーターで地下へ降りて、お帰り口では送迎用の自動車が待っているという、今以上の高級感を味わえるお店だったようだ。

1999(平成11)年7月15日、博多祇園山笠の追い山フィナーレの日限りで閉店した福岡玉屋。友人も働いていたし、レトロで大好きな百貨店だったので、転勤で福岡市に居を構えてから閉店までよく通った。古書店主の誘いで玉屋閉店翌年から参加した絵はがき研究会の例会では、レトロな紙もの類の蒐集家や古書店主・古物商が集い、各人の研究分野の雑学を聞きながらの交換会が行われる。

元々がグラフィック・デザイナーである私は、戦前のレトロでセンスある玉屋の広告・絵はがきに惹かれて、気づけば収集を始めていた。

手元には、気づけば500点以上の福岡玉屋の広告・絵はがき等がファイリングされている。少しづつデジタル化をして、当初は100年を迎えた2025年10月公開を目指していたが、まったく進んでいない(笑)。福岡玉屋閉店時に取締役を務めていた川原さん(元中洲町連合会専務、玉屋食品顧問)の手元にある資料群と合わせて公開できればさらに良いと思うが、とりあえず自分の資料は年内には公開したい。

資料の中に「玉屋納涼の新三景。珍味アイスクリーム店開始」の広告がある。福岡玉屋は1928(昭和3)年3月15日には店内への土足入店を開始して呉服店表記から百貨店表記へ変更しているので、それ以前おそらく1927(昭和2)年夏の広告だと思われる。記述を読むと、これが福岡市におけるアイスクリーム初登場だとわかる。

収集してきたのは福岡玉屋だけでなく、福岡県内の全ての百貨店や主要スーパーのチラシ。何せ絵はがき研究会のメンバーの中には、自宅に届いた新聞折込ちらしを60年以上前から新聞紙そのまま全て保管している強者もいて(笑)、他の方含めて私目当てに小出しに出品してくるので、可能な範囲で購入して気づけば膨大な数になっている。

上のチラシの中央、菊屋はのちの小倉玉屋である。当時、小倉では地元資本で井筒屋百貨店が開業し、玉屋の進出ハードルが高かったらしく、別名(菊屋)として開店したそうだ。井筒屋の前身呉服店は門司(現門司港)で創業、大正初期には田中丸呉服店が支店を出して短期間で閉店したらしく、絵葉書にも映ったものがある。菊屋の広告には玉屋マークがあるから実際はバレバレだったとは思うが、店名が違えば一応OK。大らかな時代である。


百貨店になる前の岩田屋呉服店(博多・麹屋町時代)や実験的店舗・岩田屋マートなど、岩田屋関係も500点を超える。岩田屋は来年2026年が「百貨店90年」だ。現在は福岡PARCOになっている建物は89年前のレトロ建築、それも天神ビッグバン再開発によって来年夏以降に一時閉店、再開発することも発表されているので、一年後の開店90周年記念日(10月7日)には建物は閉鎖されているかもしれない。

 

私がこれら広告チラシを集めてきた一番大きな理由は、私自身が広告デザイナーとしてデザインや割付をしていたから。普通は捨てられる運命の紙広告、デザインの参考資料になるかもと思っていたが、今考えると貴重な文化史の一端を語る資料だと気づいた。福岡の商業施設史的なアーカイブの公開を、2026年の目標その1にしようと思う。

益田啓一郎(アーキビスト近現代史研究家)

福岡市近代化&天神発展の礎を築いた松永安左エ門は生誕150年♪

福岡市近代化&天神発展の礎を築いた偉人の一人、壱岐島出身の松永安左エ門(1875〜1971)は2025年12月1日で生誕150年を迎えます。松永は生前、青年期を過ごし電力業界で活躍する地盤を固めた福岡市に、茶道具などのコレクションを寄贈。その後に開館した福岡市美術館・松永コレクションでも知られています。

松永の没後50年を記念して2021年秋には福岡市美術館で回顧展「電力王松永安左エ門の茶」が開催されました。ご縁をいただき、松永の福岡での事業や活動の軌跡に関する写真や資料を展示品として貸し出し、併せて松永の福岡での活動をまとめた書籍がないとのことで拙著「古写真・資料でみる松永安左エ門と福岡の近現代史海鳥社)」を刊行。それからはや4年が経ちました。

松永の生誕140年だった2015年秋には、NHK名古屋放送局制作「経世済民の男 鬼と呼ばれた男〜松永安左エ門」が放送され、当初は福岡での青年期もドラマで描かれる予定だったため企画に関わりました。放送時間の関係で台本から福岡時代が割愛されたのは名古屋放送局制作なので仕方なかったですけど、壱岐松永安左エ門記念館の推薦で企画をお手伝いしただけに少々残念でした。

実は、放送された2015年9月18日は、ドラマの放送前に私が企画をお手伝いし案内人としても出演した「ブラタモリ」#18福岡と鉄道編が軌跡的な偶然のタイミングで放送される予定でした。この中では福岡市および天神地区発展のキーパーソンとして、博多電気軌道を開業させた「渡辺通り」渡辺與八郎さんと福博電気軌道の開業に尽力した松永安左エ門も取り上げています。

タモリさんには「天神交差点」誕生秘話として、福岡三越が入るソラリアターミナルビル屋上から天神交差点を指差しながら、身を乗り出して私が解説しました。台本はもっと詳細があったのですが、高所恐怖症のタモリさんはすぐに「俺、もうダメ」とギブアップ(笑)。最後まで説明できなかった思い出があります。

ブラタモリ#福岡と鉄道編は、関東で発生した水害を受けて放送が直前で延期となり、10月に入ってから放送されました。それから10年、松永と縁の深い福岡市のメディアでは松永の生誕150年はまったく話題にも登りませんが、松永が晩年を過ごし墓所もある埼玉県新座市で回顧展が開催され、出身の壱岐のケーブルテレビ局や長崎のテレビ局では特集番組が計画されて、いまお手伝いしています。

また、松永も深く関係した日本電気協会九州支部報で、私は今年春から「九州の電力三国志」と題した連載を書かせてもらっており、福岡市や北部九州を舞台にした松永らの活躍を執筆中です。ある程度記事がまとまったら、書籍化できたら良いなと思っています。

益田啓一郎(アーキビスト近現代史研究家)

 
執筆構成・資料提供でお手伝いした昭文社福岡市のトリセツ』!

明治末の堅粕橋絵葉書と福岡市の古地図から変遷を読む

明治末の「筑前堅粕橋」絵葉書の考察を少しずつ進めている。私の住む街に隣接していて、朝の散歩コースでもあり、映っている道路は博多から太宰府へと続く古道なので興味は尽きない。

この頃は精密に写真を再現できるコロタイプ印刷の工場が福岡には無かったらしく、和歌山などで印刷された絵葉書が目立つが、これもそのひとつ。英文表記は「KATAKASU」ではなく「TATEKASU」になっていて興味深い。

ちなみに、同じ場所から現在の風景を撮ると堅粕橋の向こうには山陽新幹線の橋梁がある。以下の写真はドクターイエロー通過を偶然撮影したもの。

絵葉書が発行された頃の手持ちの古地図をいくつか広げて眺めてみた。1911(明治44)年発行の「福岡博多市街地図」を眺めたら、堅粕橋の下流にある出来町橋そばの当時の福岡市域と筑紫郡の境界に「電気軌道会社発電所」記載を発見!いちおう西日本鉄道(株)広報課のアーカイブ顧問を務める立場なので、細かく調べてみたくなった。

1915(大正4)年発行の「福岡市街大地図」を確認すると発電所の記載は無し。しかし、1925(大正15)年発行の「福岡市街地図」にも同じ場所に記載があるので、福博電気軌道の発電所がココにあったのだろう。改めて西日本鉄道の資料を確認しようと思う。

堅粕橋付近の変遷がわかる地図を並べると、さらに興味深い。大正期の地図には、橋の上流すぐに「馬番所」などの地名が並び、水田地帯だったこともわかる。次の1958(昭和33)年発行の「福岡市街図」は旧博多駅と新設する博多駅の区画の両方が記載されていて、戦前は「大字犬飼村」だったものが「明治町・中比恵町」など新たに町名が生まれている。

さらに1967〜1969年に行われた町界町名整理によって現在の「博多駅前・博多駅東」などに統一されていくので、その過程も確認しつつ「堅粕橋」界隈の変遷を眺めてみた。

 

執筆構成・資料提供でお手伝いした昭文社福岡市のトリセツ』!

潮湯抱洋閣と大學湯、箱崎水族館と百年前の箱崎浜

2006年から投稿を続けてきたgoo blogのサービス終了にともない、はてなblogへお引越し。2019年春から企画監修を担うFBSめんたいワイド「ひと駅ノスタルジー」の次回9月29日は、箱崎駅編のオンエア予定です。

今回のテーマは、本ブログでも投稿してきた「潮湯抱洋閣と大學湯」「箱崎水族館」の合わせ技です。

謎を解く鍵は、当時からある筥崎宮参道入口にある高灯籠(灯台)…。

明治末(1910年)の箱崎海岸に誕生した「潮湯抱洋閣」と「箱崎水族館」、そして現在も別の場所に建物が遺る「大學湯」の関係と、箱崎水族館の「名残り」が九州大学箱崎キャンパスの旧建物にあるという、百年以上の時空を超えた物語になりました。

コロナ禍前、箱崎キャンパスにある博物館が一般公開された際、私は箱崎水族館の「名残り」があることを現地で確認し、いつか取り上げてもらいたいと期待していました。

今回はディレクターOさんにご尽力いただき、国登録文化財となった大學湯さん、箱崎水族館喫茶室さん、そして九州大学さんにご協力いただいての理想的な展開。限られた放送時間で、どこまで簡潔にまとまるのか一抹の不安はありますが(笑)、本ブログの過去投稿とリンクした必見回だと思います。

 

執筆構成・資料提供でお手伝いした昭文社福岡市のトリセツ』!

玖珠町での吉田初三郎展は9月28日(日)まで

2025(令和7)年7月に始まった大分県玖珠町久留島武彦記念館での吉田初三郎没後70年記念『美の国、日本を描く〜鳥瞰図絵師・吉田初三郎の眼差しと久留島武彦との縁〜』の会期も今週末、9月28日(日)までとなりました。

会場の展示は、お盆明けから一部が入れ替えられています。別府市美術館収蔵の「別府市鳥瞰図」絹本肉筆画や、初三郎ご遺族からお借りした「地下鉄京成電車」ポスターなど。京成電車ポスターは、過去の企画展図録などを拝見しても掲載されていないので、ひょっとすると初展示かもしれません。また、私が20年前にご遺族から頂いた「博多小女郎と筥崎宮」絹本肉筆画も展示いただきました。

毎年のようにお墓参りに伺っていたところ、没後50年の記念にと「鳥瞰図でも何でも、好きなものを1点形見分け」というありがたい申し出でした。普通の初三郎ファンであれば、当然ながら鳥瞰図の肉筆画を選ぶところでしょうが、私は「自分の地元、ゆかりのある作品」として迷わずこの美人画を選択しました。近松門左衛門浄瑠璃を題材にした作品は、印刷折本が未確認ですが福岡市博物館に収蔵されている「博多観光鳥瞰図」絹本と対になるものと推察しています。判型から印刷折本の表紙絵だと思われますので。

美人画としては大判なので、過去私が関わった展示でもほとんど飾ったことがありません。もしご興味ある方は、ぜひこの機会にご覧ください。私は9月25日(木)午後、静岡県富士山世界遺産センターからわざわざ見学にお越しいただくので、最後の観覧に伺います。

 

三才ブックス「吉田初三郎鉄道鳥瞰図」拙著新刊は初三郎作品集!

執筆構成・資料提供でお手伝いした昭文社福岡市のトリセツ』!

1961年末の福岡・天神を再現したジオラマ

2025(令和7)年4月に開業したワン・フクオカ・ビルディング。5月末に西日本鉄道が本社を同ビル9・10階へ移して以降、同社広報課のアーカイブ顧問を務める立場なので週1回ペースで本社へ出向いている。10階受付には、1961(昭和36)年末に完成した当時の福岡ビル福岡駅、天神交差点付近を細密に再現したジオラマが飾られていて、来訪者を出迎えてくれる。

ジオラマは2008(平成20)年の西日本鉄道創立100周年を記念して製作された。私は当時ご縁をいただき、1961〜62年当時の建物再現のための写真資料収集&選定を担ったので、個人的にとても愛着がある。

このジオラマ、以前は普段収納ボックスに入れられて保管されていて、福岡三越西鉄ホールでの天神や鉄道にちなむ企画展などで展示されてきた。岩田屋の周年展でも飾られて、その都度話題となり人気を博してきた。

このジオラマ、以前は普段収納ボックスに入れられて保管されていて、福岡三越西鉄ホールでの天神や鉄道にちなむ企画展などで展示されてきた。岩田屋の周年展でも飾られて、その都度話題となり人気を博してきた。

2016(平成28)年、岩田屋80周年の記念誌には、私が同ジオラマをイメージ撮影した写真を表紙に使用していただいた。この旧岩田屋の建物は2010(平成22)年3月、福岡PARCOとして生まれ変わり、今年15周年を迎えている。

このジオラマ、実は2011年初めだったか一度は廃棄処分になりそうになった。保管に場所を取るため廃棄の対象リストに入っていたが、それを聞いて私は「ひょっとして減価償却の対象品ではありませんか?」と確認を求め、結果的に減価償却の対象と判明して延命。その後に先に記した企画展などで展示活用を意識的に進めてもらった。

福岡PARCOさんは開業3周年時だったと記憶しているが、館内でこのジオラマを展示したいとの申し出があり、搬入路の計画まで行ったものの館内の業務用エレベータでも上階への運搬が困難ということで実現しなかった。

その後、前述の福岡三越三越ギャラリー)での天神の歴史展示でジオラマを展示しようという話になった際も、業務用エレベータに乗らないからと言われた。私は「ソラリアターミナルビル駐車場を使って上階へ運べば簡単では?」と進言。無事に展示されて人気を博した。

その後もジオラマの活用法を提案し続けて、ワンビル建設が始まってからはプレゼンテーション・ルームにワンビル完成時の模型とともにジオラマも飾られ、完成開業にともない西鉄本社の受付に安住の地を得たわけだ。

ワンビル各フロアからは、渡辺通りを挟んで福岡PARCO(旧岩田屋)や天神ビル、福岡駅の全景を望むことができる。実はこの光景も、2026(令和8)年度にも福岡PARCO本館新館及び隣接する福岡駅ビル、そして新天町の解体再開発が始まるため、あと1年ほどの風景だったりする。

上の写真は、一般の方も気軽に立ち寄れるワンビル6階スカイ・ロビーから撮影。天気の良い日に珈琲を飲みながら、この風景を眺めるのが今一番の楽しみだ。

執筆構成・資料提供でお手伝いした昭文社福岡市のトリセツ』!

にしてつWEBミュージアム「赤バス50年」「福ビル街区の歴史」特集とブラタモリの記憶

2025年9月1週目、企画構成を担当している「にしてつWEBミュージアム」で新規コンテンツ2つが公開されています♪  いずれも福岡天神高速バスターミナル・バスミュージアムの展示と連動し、写真等を追加した特集ページ。

ひとつ目は「赤バス登場から50年!路線バスの変遷1975ー2025」です。山陽新幹線が博多まで全通したことに合わせて塗色を変更してから50年、今もたくさんの赤バスが福岡県内を走っています。

10年前、2015年10月に放送されたNHKブラタモリ」#18福岡と鉄道編の裏テーマは「タモリさんが上京した1975年の福岡」でしたが、同じ年の10月に西鉄福岡市内線路面電車)貫通線・呉服町線・城南線が廃止されたことに因み、福岡市内を走る赤バスの一番古い車両を「ブラタモリ号」に仕立てて、福岡市近代化の基礎となった福岡市内線の痕跡探しに出かけました。

放送ではバスの中で西鉄本社広報に遺る「1950年代の修学旅行貸切バス」PR映像をタモリさんに観ていただき、即座に母校である福岡市立高宮中学校の映像だと気づきました。この映像はブラタモリの放送前に「にしてつWEBミュージアム」で先行公開したのですが、それを観た高宮中学校OBから「これは私たちの修学旅行風景です」との連絡が来て、タモリさんの一学年上の方々に密着したものだと判明しています。

放送では全カットされましたが、赤バスの社内には西鉄バスの変遷や路面電車の写真を掲示しました。ロケ中、タモリさんは車窓に集中したため車内の掲示には気づかず(笑)。天神高速バスターミナルから普通の路線バスである"赤バス"で出発するという、ある意味レアな映像になりました。

もうひとつの特集は4月に開業したワン・フクオカ・ビルディング開業記念として「福ビル街区の歴史と変遷1920ー2025」です。

こちらもNHKブラタモリ」#18福岡と鉄道編で、私が案内人として「天神交差点の誕生が天神発展の起点」であることを解説しました。担当ディレクターがタモリさんを午前9時30分過ぎの天神交差点に立たせると混乱が起きると危惧して、ロケ直前にまさかの福岡三越屋上から説明してほしいという話になりました。

私は「高所恐怖症のタモリさん、大丈夫ですか?」と心配しましたが、予想通りタモリさんは説明はじめてすぐに「俺、もうダメ」とギブアップ(笑)。楽しんでいたのは桑子さんだけという…なので、この場面も説明を最後まで出来ずカットされています。

三越屋上から高速バスターミナルへ移動する途中、カメラは回っていませんでしたが、タモリさんは私に寄り添って「実家2階の部屋から見えた渡辺さん家」という貴重な話をしてくれました。渡辺さんというのは、福岡市民ならよく知っている「渡辺通り」に名前を遺し、福岡市近代化の基礎を造った偉人・呉服商「紙与」渡邉與八郎さんのこと。そのお孫さん(與三郎さん)のお宅が、タモリさんの家から丸見えだったのです。

高台にあったタモリさんの実家から西を見ると小学校の向こうに「渡辺さん家」が見えて、昭和20年代のこの界隈が「坂ばかりで、宅地造成が進んで地層が丸見え」だったことを知っていたので、タモリさんの話が自身の興味のルーツであると気づきました。しかも、当時は高い建物がなく国鉄筑肥線の汽車や西鉄大牟田線の電車も家から見える環境です。これに気づいたのは、私と西鉄の吉富さんだけ。吉富さんは渡邉與三郎さんの息子さんと高校同期で、そのお宅に伺ったことがあったそうです。

実は、私の著書「ふくおか絵葉書浪漫」「西鉄ライオンズとその時代」「伝説の西鉄ライオンズ」「美しき九州〜大正広重・吉田初三郎の世界」や西鉄フォトブックシリーズは、タモリさんの親友Hさんを通じてブラタモリ以前に進呈していました。そのため、初対面でありながら「ヨォっ!」という顔馴染みのような感覚で接してくれました。

私はタモリさんが通った高宮中学校がある校区の公民館でご長老の聞き取りを何度か行っていて、この界隈の方々は親しげに「渡辺さん」と言うことも知っていました。タモリさんが通った教会などの位置も知っているので、突然の話もすんなり受け入れて理解することが出来たんだと思います。

ブラタモリ出演(企画協力)から10年、そんなことを思い出しながら今回の特集ページを作成しました。ぜひご覧ください。

執筆構成・資料提供でお手伝いした昭文社福岡市のトリセツ』!